上記の記事で、「生成系AIが生成した文章を利用する際の責任のポイント」を次のように示しました。
- 内容が正確であるかどうか
- 適切な表現かどうか
- 引用元が適切かどうか
- 文章が著作権侵害されていないか
これらのポイントで学習者が活動すべきことを考えてみたいと思います。
生成AIを利用する際の学習者がすべき活動
内容が正確であるかどうか
生成された文章の正確性が担保できていない以上、生成された文章の内容をひとつひとつ正確かどうか確認する必要があります。生成された内容についての出典、関連した文献を調べ内容の真偽を確認する活動があるでしょう。
適切な表現かどうか
生成された内容を読み、言い回しや、表現などを、自分自身が書くとしたらどのような言い回しや表現等になるかを観点に、修正したり、表現等を新たに学習したりする活動があるでしょう。
引用元が適切かどうか
引用元が示されている場合、引用元を確認する必要があります。そもそも引用元が存在しない場合も考えられます。生成された内容に対して適切に引用されているかを引用元の文献等を読み、引用元自体の正確性を確認する活動があるでしょう。
文章が著作権侵害されていないか
生成された文章が著作物そのまま掲載されていないかを関連した文献やインターネット上でくまなく調べ確認する活動があるでしょう。生成された文章が著作物そのまま掲載されている場合は引用等適切な方法に修正する活動があるでしょう。
まとめ
この記事は、自力で書く以上の労力が必要になることを知っていただければと考えまとめたものです。真偽が不明な「生成系AIが生成した文章を利用する」考え方自体が異なるものと考えます。
プログラムコードや、計算、文章の要約等、正確性の高い生成物を利用することが使いこなすことにつながるのではないでしょうか。
また、少人数の学習グループの際に、他の意見として生成系AIに回答してもらう。必ず正解するものよりも、実際に児童生徒が回答する内容はいろいろで、教師が判断し対応することから、このような特性を生かした使い方もあるでしょう。
上記の活動が、文献を調べたり、真偽を確認する学習効果につながると考え、安易に学習活動の取り組みとならなければよいと考えています。このような活動がなされるということは、欠点のある生成AIを学習活動に無理やり組み込むことに繋がるのではないでしょうか。新しくICTが教育現場に入ったころの、技術を使うことが先行な取り組みの繰り返しになりそうな気がします。
しかしながら、上記の活動は大切な視点です。学校では同じ年齢の学習仲間がたくさんいます。同じような表現になる生成AIよりも、学習仲間同士で文章の読み合いをすることで上記の力をつけてもよいのではないでしょうか。
どこか間違って印刷されるプリンターが流行らないことを願ってます。